臭いと味覚が無い。好酸球性副鼻腔炎。症状。

好酸球性副鼻腔炎

3年ほど前に、味と風味がわからなくなった事がきっかけで

近所の総合病院と名乗る病院の耳鼻咽喉科へ通い始めた。

目次

何故、私は治療に専念できなかったのだろうか

今回は、私がおかしいなあと思い始めてから、

本格的に治療に取り組もうと思うまでの心境と行動を

書きたいと思う。

何故ならば、このご時世、生活が不安で私のように

仕事を休んではいけないと言う思いが

1番最初に来てしまう人が多いのではないかと。

コロナやインフルエンザ、急激な円安、物価高騰、

毎日の不安要素が日々増えていく時代。

私自身は、仕事をしていないと不安で仕方がない。

でも、さらに大切なことを今回、自分が副鼻腔炎になって認識した。

その時代を生き抜く為には、資本は自分自身であると言う自覚。

自分自身の身体を1番に考えなければ

こんなに生きていくのが大変な世の中

毎日乗り切れない。

今回自分が好酸球性副鼻腔炎になったことで、

ちょっと体調が思わしくないけれど、

明日は大切なお客様との打ち合わせだから休めない、とか、

明日までに試作を仕上げないと会社の仲間に迷惑をかけてしまう、とか。

そんな時は資本の自分自身をを1番にする。

それをマイルールとした。

打ち合わせの日程を変更してうまくいかなくなった仕事、

試作が仕上がらなかった仕事。

これはきっと無理してその時に取り組んだとしてもきっとむりだった。と。

今はそう考えることができる。

元気な自分で仕事を頑張ろう。と今は自分に伝えている。

副鼻腔炎と自覚するまで

現在の症状

私はこの3年間、味覚、嗅覚がない。

今現在、朝のコーヒーのいい匂いも、バームクーヘンのバターの風味も

全くわからない。何を食べても同じ。

どこへ行っても無臭、台所のガスが漏れていても何も臭わない。

これはやばい!と思った時の症状

味が甘いかしょっぱいかしか分からず風味と言うものが全く分からなくなっていた。

この風味と言うのは、出汁の味とか風味、バターの風味、キノコの風味等である。

加えてこの頃から自分自身で鼻詰まりを認識する症状は無かったものの

常に話し声が鼻詰まりの時の声であった。

その頃はコロナが流行真っ只中で、殆どの人が

マスクをつけっぱなしの生活を余儀なくされていた。

私も毎日必ずマスクを着用していた。

何よりも反省していることは、

その頃も仕事が忙しく、おかしいなあと思いつつ

自分の体調の変化を敏感にとらえることができなかった。

マスクのせいもあったのか、

自分が匂いがしなくなっていることに

しばらくの間気付かなかった。

今振り返っても、あの頃の生活は、とにかく仕事に追われていた事で

仕事が出来なくなると困るから、コロナにだけは感染してはいけないという思いで

気が休まることもなく、常に何かに不安を感じながらの生活だった。

会社と自宅と近くのスーパーを、只々行き来している生活だった。

毎日調理はしていたものの、匂いがうっすらとしかしていなかった。

久しぶりに自宅でゆっくりしようと玄関を開けた時、

初めて、

あれ?我が家だあ~と感じられる匂いがしない

と言うことに気づいた。

庭の花も、トイレの匂いも、洗濯物の匂いも、生ごみの匂いも何もしなくなっていた。

病院へ通い始める

そもそも、引っ越しの際に体調を崩し、

でも引越の期限は決められているから

無理して動いて、

慣れない場所での生活がスタートして、

風邪かアレルギーかわからないけれど

くしゃみ鼻水が止まらなくて、

やっと、近所の耳鼻咽喉科へ行くことにした。

コロナが蔓延していた時期だったので

なるべく病院へ行かずに治したかったが

中々回復しなかった為病院へ行き処方された薬を飲み始めた。

病院へ行ったと言う安心感だけで症状は変わらなかった

約1年半位、くしゃみ鼻水がひどくなると病院へ行って薬をもらうという繰り返し。

ひどい時は鼻呼吸できず夜眠れないことも。

でも、病院へ行って診察を受けて薬をもらっているので

それ以上何をしたらいいのか私には案が浮かばなかったし、

それ以上に日々の生活に追われ

症状を改善したいが為に時間を費やすことはなかった。

今考えると、恐ろしい思考回路である。

続く...

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